活動報告
カテゴリー : 支援活動
パソコンをお譲りさせて頂きました。
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
祈望の仙台倉庫に亘理町から森看板様がお見えになりました。
森看板様は、津波によって会社も家も車も全てを失いました。
仕事に必要な1tトラックがなかなか手に入らなくて、現状は非常に厳しいと仰っていました。
このホームページをご覧になってくださっている皆さま。
1tトラックを低予算でお譲りいただけるよう、身近な方々への呼びかけをお願い致します。
宮城県は中古車の価格が跳ね上がっていて、なかなか購入できません。
どん底から、再び立ち上がった森看板様をどうか応援してください。
宜しくお願い致します。
森看板様へは、東京の千秋様からお譲り頂いたパソコンをお渡しさせていただきました。
「とても助かりました。ありがとうございました。」と、お言葉を頂戴しました。
千秋様。
この度は、ご支援ありがとうございました。
代表 金野
静岡支部より活動報告
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
静岡支部の後藤です。静岡支部の活動報告です。
以前から祈望に厚いご支援をしてくださっている谷井様が、ご親戚のご夫妻を私に紹介してくださり、そのご夫妻からお布団やタオル等を沢山お譲りして頂きました。そしてご子息は無償で倉庫を貸してくださいました。
本当にありがとうございます。
お譲りして頂いた被災地救援物資の一部は、すでに被災地に届けられました。
「大変ありがたいです」と、携帯の電波の向こう側で本当に喜ばれていました。
私がお預かりしているお布団は、伊豆の国市長岡の遠藤様、三島市の佐々木様、カーポインツCE-ONE 国友様、富士宮市の農事組合 木の花ファミリー様、そして谷井様からお譲りして頂いた被災地救援物資と一緒に、6月21日に被災地に届きます。
大津波により数十万台の自動車が流され、震災時から3ヶ月近く経つ今でも、被災地では自動車が不足しています。
私は知り合いの車屋さんなどに声を掛け、自動車をお譲りしてくださる方を探していましたが、谷井様から自動車をお譲りしてくださる方をご紹介して頂きました。
その方は「被災地の方々のお役に立てるなら」と、快く軽トラックをお譲りしてくださいました。
山下様、本当にありがとうございます。
山下様からお譲りして頂いた軽トラックは、被災地で大活躍することでしょう。
ご支援して下さっている皆様本当にありがとうございます。代表の金野に代わり厚く御礼申し上げます。
これからも静岡支部は、地道に活動して参ります。
まだまだ厳しい生活を余儀なくされている避難所の方々、自宅避難者の方々がいます。
市内から遠ければ遠いほど、被災された方々の生活は厳しさを増します。食料も衣類も飲料水も、不足している地域は、まだまだあるのです。
自分たちは支援されている側だからと、我が子におやつを我慢させているそうです。
私は我が子におやつを我慢させている親御さんたちの気持ち、本当はおやつを食べたいのに我慢している子供たちの気持ちを想うと、心が痛みます。
それに加えて、希望を捨てずに地元の経済の流通を取り戻そうと、経済破綻させまいと、頑張っている事業主の方々。津波で会社を丸ごと流されてしまわれた方々のご苦労を思うと、痛たまれなくなります。
中古品でもプレハブがあったなら、どれだけ被災された事業主の方々が救われることか。
静岡に限らず、全国の皆様、心温かいご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
一つのプレハブが被災地に元気をもたらします。
一人よりも二人、二人よりも三人、一人ひとりの力には限りがあるけれど、みんなの力が一つになったなら成せない事柄はないと信じています。
被災地で厳しい生活を余儀なくされている皆様。
皆様は決して一人ではありません。
遥か遠くの地、ここ静岡でも被災された皆様の痛みを分かち合い、普通の暮らしに戻れますよう願っている方々が大勢います。
助け合いの輪が拡がっています。
静岡支部 後藤
宮城 きぼう商店街 開店
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
祈望は震災被害に遭われた支援の届かない被災地のご家族と、経営者の支援を行うために設立しました。
宮城県では震災の影響で廃業、倒産、休業、倒産危機の企業が急増しています。
復興の第一歩には、被災されたとはいえ、やはり社長様、個人事業主の方々の力が必要なのです。
このままでは、雇用も動かず、経済も動かず、再就職できない方々が増える一方です。
宮城県には経済停滞の波が押し寄せています。
このような状況の中、ご家族、知人、友人が亡くなった悲しみから、ようやく被災地の社長様達や個人事業主の方々も復興に向けて立ち上がりました。
ですが、現実は会社も家も車も流されゼロからの再出発となります。
生き残った社員さんたちの生活も支えて行くのはもちろんのこと、お仕事を再開されるにも、ほとんどのものが壊れてしまい、再スタートが非常に困難な状況にあります。
私たちは、そのような企業様や個人事業主様と力を合わせ、復興への第一歩として6月1日から「宮城きぼう商店街」を開店致しました。
宮城きぼう商店街は、沿岸部被災地から一歩を踏み出します。
支援者の皆さま、どうかご協力お願い致します。
代表 金野
※Youtube に山元町の様子3件、亘理町の様子1件をアップしました。
山元町
山元町2
山元町3
亘理町
静岡から若い支援者がやって来てくれました
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
今日は、静岡県から川島さんが来てくれました。
ツイッターで祈望の存在と活動、被災地の状況を知ったそうです。
一刻も早く被災地で不足しているものを届けたいと、レンタカーを借りて物資と冷蔵庫をお持ちくださいました。
被災地も見学したいと要望されたので、三陸道を石巻港で降り、石巻⇒女川⇒雄勝のルートを通りました。
石巻市と女川町の状況はYoutubeにアップいたしました。
川島さんは、自分が考え描いていた状況を遥かに超えていると驚いていました。
でも、これが現実の姿です。
雄勝町に着いて物資を倉庫に仕分けした後、石巻支部の大槻さんに川島さんは色々と質問をしていました。
帰りの車の中で、川島さんは、もう一度自分達に何が出来るかを考え直したいと言っていました。
2日後、川島さんから祈望のメンバーとして、静岡で頑張りたいと申し出がありました。
静岡支部の後藤とともに静岡からできる最善を尽くしてくれるそうです。
川島さん、ありがとうございました。
そして、川島さんを通して支援物資を託してくださった皆様ありがとうございました。
代表 金野
6月2日 物資輸送
物資輸送 女川町の現状況
仙台市宮城野区の会社へオフィス支援物資をお渡ししました
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
今日は、ロードライフカー様と(有)アルカ様にオフィス支援物資をお渡しさせていただきました。
お二人とも、仙台市宮城野区蒲生という地区で中古車販売、整備などの会社を経営されていました。
この地区は津波の被害が大きく、建物はほとんどが流されてしまいました。
一からのスタートにはなりますが、全力で頑張るつもりだと仰っておられました。
私自身も会社を経営していますが、震災後はガソリン不足、物資不足、ライフラインの影響で、2ヶ月ほどまともな仕事ができませんでした。
仙台市やその近郊は見た目の被害は沿岸部と異なりますが、経済的ダメージは計りしれません。
外観は変わりのないビルでも廃業、撤退、休業に追い込まれた企業がたくさんありました。
私も会社を再興中ですが、共に復興を信じて全力で頑張りたいと思います。
仙台近郊も沿岸部も会社再興は厳しい状況が続いています。
皆さまへの恩返しは、復興を成し遂げることだと感じています。
正直、まだまだ、復興という道すじは見えてはきません。
ですが、心の中にある希望の光は、はっきりと輝いています。
今は復興を信じて、前へ前へと進むしかありません。
皆さまの心温まる支援は被災者にとって勇気の源です。
ありがとうございます。
代表 金野
北上町に支援物資をお届けいたしました
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
今日は東京から三原さん、長野から鈴木さん、岡山から(株)松尾自動車販売さんが、物資輸送に同行してくださいました。
また皆さまから、飲料水や食料品の支援をいただきました。
北上町の避難地区へは、武蔵野土木工業(株)の渡邉様、大伸社の中村様、上平様、鈴木美絵様からの支援物資をお届けさせていただきました。
ご支援ありがとうございます。
当日は一緒に同行できませんでしたが、前日は神戸から石巻市の炊き出しに来ていた友人のやまと建装(株)の真島さんからも支援いただきました。
前日は、副代表の倉田、長野県から来てくれた友人の鈴木、神戸から来てくれた真島さんとご飯を食べました。
真島さんは、石巻市で瓦礫撤去と炊き出しのボランティアに来たそうです。
実際の被災地を観て、正直、あまりの被害規模の大きさに、自分の善意の行動もとてもちっぽけなものに感じてしまったそうです。
正直、それは私自身も常に感じていることです。
「東北復興支援団体 祈望」という立派な名前が付いていながら、東北どころか、宮城県のごく一部の地域の支援で精一杯なのが、今の現状です。
いつも、被災地のど真ん中を車で走る度に感じるのです。
自己満足では終わりたくない・・・。困っている方々のお役にたちたい・・・。
一人の人間の力は、この未曾有の出来事の前にはあまりに小さくて、無力に感じるほどです。
震災以来、被災地の方々は毎日が忍耐です。
おばあちゃん達に来週また来るから何がほしいか尋ねると、漬物が欲しいと応えました。
子供たちはお菓子が食べたいと応えました。
中学生は日本のカップ焼きそばが食べたいと応えました。
お母さんたちは洗濯機が欲しいと応えました。
お父さんたちは仕事がしたいと応えました。
でも、被災地の方々は「こんな贅沢は言えない・・・水とおにぎりだけでも十分ありがたい。」
そう言っていました。
カップ麺は韓国の物が多くて、非常に辛いそうです。
子供たちには辛すぎて、お湯で薄めて食べさせるそうです。
その、薄めるお湯も一日2リットルまでしか配給されないので、沢水を沸騰させてからお湯として使っています。
雨が降ると沢水は黄色く濁ります。
それでも、利用するしかないそうです。
洗濯機は地域に3台しかありません。
1台を40人ほどで利用するため、午後3時になっても自分まで順番が回ってこない時もあります。
夕方から洗って干しても十分には乾きません。
被災地にはこのような状況の地区が、まだまだたくさんあります。
被災地では、配給停止、避難所解散を迎えようとしています。
配給は一日に一人あたり水が2リットル、おにぎりは2個までです。
道路や橋は崩れています。
片道30キロから40キロを車を走らせ、やっとお店があります。
この現実があるということを、多くの方々が知りません。
同じ宮城県にいる方々でも知らない方がほとんどではないでしょうか。
マスコミの力は大きく、報道の頻度に比例して配給も支援物資も激減しています。
私は恵まれています。
全国の友人から、何か困っていないか?何か必要なものはあるか?気にかけてくださいます。そして、私が語る真実をできるだけ多くの方々に伝えようとしてくれます。
そのたびに感じるのです。
「生かされている」
真実は必ず最後に生き残ります。
支援者の皆さま。
アマゾンでご購入していただいた皆さま。
東京サポートチーム。
祈望メンバー。
いつも本当にありがとうございます。
継続は様々な困難をもたらすかもしれません。
自分のことで精一杯の時もあるでしょう。
純粋な善意が踏みにじられる時もあるかもしれません。
力の及ばない領域に虚しさを感じる時もあるかもしれません。
でも、ちっぽけかもしれない私たちの力を必要としている方々が、まだまだ大勢います。
私の本音は復興は20年〜30年かかると考えています。
これから先、変わり果てた故郷の復興を見届けることが叶わぬまま、この世を去っていく方々もたくさんいるでしょう。
一日でも早く思い出の詰まった美しい故郷を生きているうちに見届けさせてあげたい。
それが困難なことはわかっています。
私は震災の翌日に、連絡の取れない同僚を探しに塩釜市の避難所を彷徨いました。
その時の光景が目に焼き付いて離れません。
一瞬、絶望感に襲われました。
変わり果てた東北を、宮城を復興させられるのは誰なのか。
瞬時に、国や行政だけでは不可能だと確信しました。行政、民間の枠を超えて、一体になって立ち向かっていかなければ復興は言葉だけで終わります。
今、私が最も懸念しているのは「無関心」です。一度、被災地を自らの目で見て感じてほしい。
復興に向けて皆さまの力を結集して共に突き進んでいけたらと願っています。
代表 金野
※三原さんはご自身のサイトで被災地の状況を伝えていらっしゃいます。
5月28日~30日、仙台の祈望さんでボランティアをしてきました。
ちょうど、岡山からの車の移送にお供し、雄勝までの被災地を見ることが出来ました。
写真では捉えられないと気づいて、帰り道は、車から動画を写し続けました。
詳細は私のサイトをご覧ください。
東北の被災地とボランティア活動
http://www.m-epoch.com/20110311ikou/hisaichisien/20110529hisaichi.html
東京都在住 三原翠
石巻市雄勝町に車をお届けしました
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
今日は、岡山県総社市から19時間かけて、(有)松尾自動車販売の松尾社長と社員の方々が、被災地に車を2台寄付するために来てくださいました。
テレビや写真には映らない現実の光景に驚かれていましたが、
こんなに復興が遅れているとは思わなかったそうです。
事前に私とは何度か連絡を取り合ってはいましたが、ここまでの状況は想像できなかったそうです。
真剣に、これから何ができるかを皆で考えなければいけないと仰られていました。
私は一人でも多くの方々にこの現実を、自らの目で、見ていただきたいと思っています。
この光景のど真ん中に立って、臭いや音や雰囲気など五感で感じてほしいのです。
本当に必要で求められているものが何なのか。
私は真実を多くの方々にできる限りお伝えしてきましたが、
この現実をこれ以上、お伝えする術が見つかりません。
自立はたしかに必要です。
ですが、まだまだ、被災地では皆さまのお力を必要としています。
そんな中、全国から絶えることなく届き続ける支援物資は、希望の結晶です。
松尾自動車様
総社市民の皆さま
総社市長 片岡様
この度は、本当にありがとうございました。
お車は、被災地で大切に大切に使わせていただきます。
代表 金野
お車をお届けしました
石巻市の水産加工会社に勤務される菅原さんご夫妻に、大石様からお譲りいただいたお車をお届けいたしました。
今回の震災で、奥様は九死に一生を得られました。
運転中に津波にのまれてしまったそうです。
無我夢中で何とかドアを開けて車から逃げ出しブロックによじ登り、間一髪で救出されたそうです。
その後は家族とは一切の連絡がとれず、病院で手当てを受けていました。
ご家族や知人と安否確認が取れたのは4日後でした。
石巻市はまだまだ交通の便が悪く、菅原さんはこれまで仕事場に行くことができませんでした。
今回、大石様からお車をお譲りいただき、明日から職場に復帰できるそうです。
石巻市では車の金額が跳ね上がり、思うように購入もできません。
今回は、命も助かり、お車もお譲りいただき、奇跡のようだと仰られていました。
苦しい日々に変わりはありませんが、世の中には善意のある方々が、まだまだ、たくさんいるのだと勇気と希望を頂きましたと大変喜ばれていました。
大切に大切に乗ってくれることと思います。
大石さん。
この度は、わざわざ茨城からお越し頂きありがとうございました。
大石さんの大切なお車は、被災地の中で、菅原さんご夫妻の生活を支えていくことでしょう。
たった一台の車の存在が、被災地で再び立ち上がろうとしている多くの人々の夢と希望を支えていくのです。
私は、被災地にお届けする前にキレイにキレイに洗車しました。
今頃は、瓦礫だらけの町並みを泥んこになって菅原夫妻を乗せて走っているかもしれません。
夢を乗せて!希望を乗せて!
一人一人の善意の継続が、いつの日か復興という形となって実のなることを願うばかりです。
代表 金野
パソコンをお届けしました
オートラウズさんにパソコンをお届けいたしました。
私の会社の社用車はこちらで購入させていただいていました。
3月11日の大震災以来、連絡が取れなくなっていましたが、オートラウズさんは幾多の困難を乗り越えられ、先月、ようやく事業再開にまで漕ぎつけられました。
しかし車を整備するための機材は津波によって全て流され、店頭に並べていた販売用の車も全て失いました。
事業を再開はしたものの、今の体制ではお客様に対して満足していただける対応は難しいそうです。
しばらくの間は、この状況を理解してくださる知人や取引先へ販売をさせていただくそうです。
オートラウズさんへは、株式会社ティーケーラボ 室津悠樹様から支援していただいたパソコンをお届けさせて頂きました。
オートラウズさんと協力店の皆さまからメールを頂きました。
「一日でも早い復興を目指して、皆で力を合わせて一生懸命頑張ります!ありがとうございました。株式会社 ティーケーラボ 室津悠樹様にも宜しくお伝えください。」
オートラウズ 社長 後藤雅章
(他大仙塗装、ペイントA.G、菅原)
オートラウズさんは、今後、祈望の仙台支部として共に復興支援を頑張ることになりました。
自らの会社を再建しながらの活動となりますが、これからの東北のために、全力を尽くしてくれるそうです。
また全国から、被災地に車を譲りたいとの善意の声がたくさん届いています。
車の譲渡に関する手続きや、相談なども仙台支部としてオートラウズさんが対応致してくれることになりました。
長い長い道のりになりますが、皆で力を合わせて頑張って参りたいと思います。
支援者の皆さま、この度もご協力ありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します。
代表 金野
震災でゼロからの再出発ですが、あきらめないで一生懸命頑張ります。
支援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
皆さまから、頂いた勇気で必ず復興してみせます。
中古販売店 オートラウズ
社長 後藤雅章
感謝の想いを込めて
祈望を応援してくださる皆さま
この度は、救援物資、支援金ありがとうございました。
まだ、お会いしたことのない方々もいらっしゃいますが、
私たちを応援してくださり感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、今回の震災で改めて「人」の素晴らしさを感じています。
私は、今まで何度も何度も信じたものに利用されたり裏切られたりしました。
でも、それでも、「人」を信じてきました。
それは、何度も何度も苦境に立たされた私を多くの方々が私を信じて支えてくださったからです。
そのおかげで、今の私がここに存在しています。
自らの信念を貫けば貫くほど困難にぶち当たりました。
人の心を尊重すればするほど窮地に追い込まれもしました。
自分の力が及ばず、悔し涙で朝まで泣き続けたこともありました。
もうダメだ・・・。
心が折れそうになったこともありました。
限界を感じた時、いつも誰かに支えられました。
私の財産は「人」なのです。
いま、未曾有の大惨事を前に歩み続けることが出来ているのは、皆さまの支えあってです。
私は震災直後から、すぐに支援活動を実行に移すことができました。
それは、遠く離れている県外の恩師や友人たちが、驚くほどの速さで私を支援してくださったおかげです。
陸・空・海すべてが閉ざされた仙台にいる私のために全国から物資を新潟にかき集め、
新潟から仙台へと物資を車いっぱいに積み込んで、駆けつけてくれました。
あの非常事態の中を危険を承知で来てくれたのです。
一生忘れられません。
今は、皆さまにお世話になりっぱなしですが、必ず復興して必ず恩返しをしたいと思っています。
正直、日本が一つにまとまることは難しいでしょう・・・
でも、目先の損得だけではなくて、
純粋に自分の力が及ぶ限り、何かの役に立ちたいと願う人が、たくさん!たくさん!います。
まさに復興への希望の光です。
東日本の復興が遅れれば遅れるほど、西日本にも経済停滞の波は波紋のように広がっていくでしょう。
今一度、それぞれが目を閉じて考えて頂きたいのです。
今の自分に出来ることは何なのかを。
そして、被災地にいる私たちも決して甘えてはいけません。
「何をしてもらおうか?」ではなくて「何ができるだろうか?」
自立心を失ってしまっては復興は叶わないのです。
人それぞれ価値観は異なります。
同じ目標を持って、同じ方向に進もうとも、その進み方は異なるかもしれません。
被災地を巡っては、賞賛を浴びる者。非難される者。両極端です。
でも、日本を何とかしたいと思う心は一緒のはずです。
それぞれ立場は違えど、そう信じています。
祈望を支援してくださる皆さま
皆さまの善意は何があろうとも大切にいたします。
「不惜身命」
ありがとうございます。
代表 金野














