Monthly Archives: 3月 2014

震災より三年を迎えて

支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。

震災から3年が経ちました。
いま、被災地に立って感じることは、復興にはほど遠いなぁというのが本音です。

震災後は、日に日に瓦礫が撤去されていき一日一日、目に見えて変化がありました。

ある程度、瓦礫が撤去されてからは、被災地ではまるで時間が止まってしまったかのように感じます。

現在の雄勝町の様子


写真は、現在の石巻市雄勝町の中心部です。
小学校、中学校、商業施設は解体され、商店や住居も無くなりました。
商業施設も学校も働く場もないので、若い世代は生活が成り立たず、やむをえず町を離れました。

また、瓦礫撤去等、一般の方々でもできるような仕事は無くなり収入が途絶えました。雄勝町に限らず沿岸地域では男手や職場を失った方々も多く、年金や失業保険に頼らざるえない状況が続いています。
蓄えは減り、苦しい生活を続けている方々が、まだまだたくさんいらっしゃいます。

地域によっては、震災直後の状況に戻ってしまったところもあります。
仮設住宅によっても、水道の消毒が強すぎるところもあり、体を洗ったり物を洗ったりはできますが、ご飯を炊くと黄色くなり臭いもきつくなるので、炊飯、飲み水、料理にペットボトルの水を利用しています。
私たちがご協力させていただいている沿岸地域の方々は、現在、水、トイレットペーパー、味噌、醤油に一番困っています。
定期的に移動販売車が来てくれるそうですが、水やトイレットペーパーは特に足りていません。

被災地の復興は、現在、大手ゼネコンが多くの事業を請け負っていますので、地場の業者さんが苦戦を強いられています。
大手ゼネコンは、宮城県外に本社がありますので、被災地でいくら復興事業があったとしても事業者からの税収は地元の自治体には入りません。

住居に関しても、津波の届かない高台への移転の話がなかなか進まない状況で、新たな生活を始めようにも住む場所すらありません。このような状況が、長く続いているため人口流出に歯止めがききません。

被災地では、たくさんの問題が起きていますが、自治体と民間がもっと連携しなければ、この停滞感は改善できないと思います。

私たちが、被災地にできることは、ごく小さく限られてきていますが、風化させないよう改めて頑張らなければと感じています。
まだまだ、支援を必要としている方々も多く、皆さまにはどうか引き続きご支援をお願い申し上げます。

今後ともどうか宜しくお願い致します。

 
代表 金野文武

Posted in 宮城県石巻市雄勝, 復興の様子 |

震災から3年を迎えました

支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。

東日本大震災から3年目を迎えました。
被害を受けられた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。

そして支援をしてくださった全国の皆様に心よりお礼申し上げます。

皆様から届く励ましのお言葉、寄附、支援物資は、被災地一同の心の支えとなっております。
生活の厳しい方々のために、ひとつひとつ、有り難く大事にいただいております。
本当にありがとうございます。

現在、支援を必要としている世帯数は、
雄勝町 70世帯
北上町 40世帯
大槌町 3世帯 となりました。
本当にありがとうございます。

被災地では各地で3年目の追悼式典が行われ、犠牲となられた方々のご冥福を祈り、
この3年の節目に未だ行方不明の方々の一斉捜索が、県警を中心として消防、海上保安庁により
行われました。

震災の日から今までのことを思い返すと色々な事がぶわーっと溢れて来て涙が止まらなくなります。
亡くなられたお一人お一人の無念さ、ご遺族の方々のことを思うと胸が苦しくなります。
地元の方々のご経験をできるだけ言葉にして、支援してくださった皆様、そして子供たちに
伝えていかねばならないと改めて思いました。

石巻市北上町と岩手県大槌町からメッセージをいただきました。

厳しい寒さもいつしか終わりを告げ、春の日差しを感じる季節となりました。支援者の皆様いつも大変お世話になっております。

震災から今日で3年を迎えました。地域でも追悼式典が行われ犠牲になった遺族や多数が参加されました。私事ですが、今日(11日)は朝から家族2人の遺体発見現場に花を手向けに行ってきました。海岸沿いにはたくさんの花があり手を合わせている方々が多く見られました。しかし、今日は特別な日ではありません。遺族の方々には毎日が辛く 毎日が悲しく 毎日が悔しい日々なのです。

先月、こんな辛い出来事がありました。津波で子供を亡くされた親御さんが自ら命を絶つという痛ましい出来事でした……。「自分が子供を守ってやれなかった」と病み続け、川に身を投げ亡くなりました。49歳でした。

毎日が苦しく毎日我慢をし毎日一生懸命だったのだと思います。
震災から3年経過しましたが「心のケア」が必要な大事な時期でもあることも感じました。これ以上の犠牲を出してはいけないのです。

震災を風化させない為にも、次世代に伝える為にも、全国に訴え続けなければいけないと考えさせられました。
これからも応援よろしくお願い致します。

北上町代表 武山英明
 

 

あの東日本大震災から3年の月日が経ちました。
早かったのか、遅かったのかは、人それぞれ違うと思います。

その中で、私達町内の支援が必要な家庭、団体への沢山のご支援に心から感謝いたします。

震災から3年の日に、私も大変お世話になった先輩へお祈りをしに花束を持って町内の海に行ってきました。そこには、見ず知らずのお母さんと、3歳くらいの女の子がいました。
その時、女の子が海にむかってパパと叫んでいました。その姿を見て私は涙が止まりませんでした。

まだまだ被災地には悲しみを背負って進んでいる方々が沢山います。しかし月日が流れても、この悲しみは消すことができないと思います。良いことも嫌なことも生きている限り思い出の1ページとして心に残るのですから。そしてそれを乗り越えて一歩一歩前に進まなければいけません。

私がご支援いただいている、一般の家庭の世帯は3世帯に現時点ではなりました。高齢者、子供のいる世帯です。
町内では、人口の減少が進んでいます。土地の値上がり、離婚者の増加、人口減による商売の悪化、ストレスによる他地域への移転
色々な現状の中復興にむかって進んでいます。

私的にもいつまでも皆様のご支援に甘えて良いのかと思っています。

その中で、小世帯の家庭、子供達の部活動、スポーツクラブ、地元業者へのご支援のお手伝いを後、少しの間、進めていこうと思います。
この私たちが育った、町に豊かな海、緑、そして素敵な笑顔が戻ることを願い、子供達の未来のために一歩一歩進んで行こうと思います。

最後に、震災後町内への沢山の皆様のご支援で笑顔が生まれました事に心より感謝いたします。有難うございました。

大槌町 土沢孝弘

Posted in 宮城県石巻市北上町, 岩手県大槌町, 復興の様子 |