活動報告
カテゴリー : 復興の様子
東日本大震災から4年
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
東日本大震災から4年目を迎えました。
被害を受けられた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
そして支援をしてくださいました全国の皆様に心よりお礼申し上げます。
皆様から届けられた心のこもった支援物資、励ましのお言葉、子供達へのプレゼントは、
被災された方々の心の支えとなり喜ばれております。収入のないご家庭、生活の厳しい
方々のところに、有り難くいただきました。
本当にありがとうございます。
震災から4年経ち、三陸鉄道全線再開など明るいニュースもありますが、沿岸部の地域の
方からは、あまり復興が進んでいないというお話もいただいております。
復興の進み具合について
雄勝町の状況としましては、計画変更や復興資金不足などで遅々として進まず被災ゴミが
なくなっただけのような感じで、地元住民の皆様はだいぶ以前から諦めムードになって
いるとのこと。
これからどうなるのか、不安な毎日を過ごされているとのことでした。
北上町の状況としましては、「北上、南三陸は復興住宅の完成は まだまだ先になりそう。
土地を確保して新築した方々はほんの一握り。ここにきて全然前に進まず足踏み状態です」
とのことです。
北上町代表の武山さんとしては「予算が足りないのもありますが、予算の使い途が一番の
問題かと思います。優先順位がめちゃくちゃです」と考えているとのことです。
(北上町の状況は3月13日に追記しました)
大槌町の状況としましては、津波で削られた地盤に3Mの盛り土をするのにあと2年は
かかるらしく地盤を固め終えてから建築に入るので、まだまだ復興できるまで時間が
かかりそうです。
建物を建てるための土地が限られているので、所有者のわからない山を勝手に削るわけにも
いかず、住居と働き口を得るため人口流出が進行しているとのことでした。
また、外部から来た資本力のある業者さんが土地ごと買い占めて建築仕事を受注しているので、
昔からの地元の業者さんに仕事が回って来ないという状況が続いています。
現在は建築関係以外は思うように商売になっていないので、人口が減ってゆく中、昔からの
お店を存続させることはかなり厳しいそうです。
電気屋さんでも大工の仕事を受けるなどして、本業以外の仕事をしないとやっていけない
くらい厳しい状況なので、若者チームが協力しながら、仕事をなんとかまわすように頑張って
いるそうです。
大槌町から、若者チームが仕事するための中古トラック(小型の2tダンプ)と、
大工道具(マキタの新品工具)が欲しいというご要望が上がっております。
現在、支援を必要としている世帯数は、
雄勝町 70世帯
北上町 40世帯
大槌町 高齢者4世帯とクラブ活動の子供達
となっていて、昨年とあまり変わらない状態です。
今後の祈望の支援活動についてですが、現在はアマゾンの「ほしいものリスト」からのご支援と、
メールでのご連絡、被災地への直接のご支援を細々と行っているような状況です。
現在、本部の方が以前のような活動が難しくなっており、東京サポート本部と被災地の代表とで、
しばらくこの形で継続していこうと思っております。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
祈望代表の金野より
「震災後は、全国から様々な業者が仙台や仙台近郊にも進出してきましたが、震災から4年経って、今では多くの業者が撤退していきました。
震災後、人の足元をみて理不尽な施工をしていた人達も淘汰されはじめてきました。
仙台や仙台近郊の復興は進んでいますが、宮城県では、雄勝と南三陸に関しては今後も復興は相当厳しいと思います。
祈望としては、復興住宅がどんどん完成すれば、仮設住宅から復興住宅への引っ越しの際に必要となる中古家具の支援などで役にたてると思います。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。」
いつもご支援くださいます、継続的に支援してくださる皆様に感謝申し上げます。
東京サポート本部 佐々木
収入がなく厳しい生活を強いられているお年寄りの世帯が約40世帯ほどあります。子供たちに
関しては約80名おりますが、私が度々訪問している中では約20名おります。支援も減ってきて
いるなか、私自身も以前程の範囲を回りきれないのが現状です。風化をさせない為にも、支援を
続けて頂けるまでは動ける範囲で動き続けていきたいと考えてます。少しであっても応援を
いただければ力になります。今後ともよろしくお願い致します。
北上町代表 武山英明
3月13日に代表と北上町の武山さんからのメールを追加掲載しました。
震災より三年を迎えて
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
震災から3年が経ちました。
いま、被災地に立って感じることは、復興にはほど遠いなぁというのが本音です。
震災後は、日に日に瓦礫が撤去されていき一日一日、目に見えて変化がありました。
ある程度、瓦礫が撤去されてからは、被災地ではまるで時間が止まってしまったかのように感じます。
写真は、現在の石巻市雄勝町の中心部です。
小学校、中学校、商業施設は解体され、商店や住居も無くなりました。
商業施設も学校も働く場もないので、若い世代は生活が成り立たず、やむをえず町を離れました。
また、瓦礫撤去等、一般の方々でもできるような仕事は無くなり収入が途絶えました。雄勝町に限らず沿岸地域では男手や職場を失った方々も多く、年金や失業保険に頼らざるえない状況が続いています。
蓄えは減り、苦しい生活を続けている方々が、まだまだたくさんいらっしゃいます。
地域によっては、震災直後の状況に戻ってしまったところもあります。
仮設住宅によっても、水道の消毒が強すぎるところもあり、体を洗ったり物を洗ったりはできますが、ご飯を炊くと黄色くなり臭いもきつくなるので、炊飯、飲み水、料理にペットボトルの水を利用しています。
私たちがご協力させていただいている沿岸地域の方々は、現在、水、トイレットペーパー、味噌、醤油に一番困っています。
定期的に移動販売車が来てくれるそうですが、水やトイレットペーパーは特に足りていません。
被災地の復興は、現在、大手ゼネコンが多くの事業を請け負っていますので、地場の業者さんが苦戦を強いられています。
大手ゼネコンは、宮城県外に本社がありますので、被災地でいくら復興事業があったとしても事業者からの税収は地元の自治体には入りません。
住居に関しても、津波の届かない高台への移転の話がなかなか進まない状況で、新たな生活を始めようにも住む場所すらありません。このような状況が、長く続いているため人口流出に歯止めがききません。
被災地では、たくさんの問題が起きていますが、自治体と民間がもっと連携しなければ、この停滞感は改善できないと思います。
私たちが、被災地にできることは、ごく小さく限られてきていますが、風化させないよう改めて頑張らなければと感じています。
まだまだ、支援を必要としている方々も多く、皆さまにはどうか引き続きご支援をお願い申し上げます。
今後ともどうか宜しくお願い致します。
代表 金野文武
震災から3年を迎えました
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
東日本大震災から3年目を迎えました。
被害を受けられた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
そして支援をしてくださった全国の皆様に心よりお礼申し上げます。
皆様から届く励ましのお言葉、寄附、支援物資は、被災地一同の心の支えとなっております。
生活の厳しい方々のために、ひとつひとつ、有り難く大事にいただいております。
本当にありがとうございます。
現在、支援を必要としている世帯数は、
雄勝町 70世帯
北上町 40世帯
大槌町 3世帯 となりました。
本当にありがとうございます。
被災地では各地で3年目の追悼式典が行われ、犠牲となられた方々のご冥福を祈り、
この3年の節目に未だ行方不明の方々の一斉捜索が、県警を中心として消防、海上保安庁により
行われました。
震災の日から今までのことを思い返すと色々な事がぶわーっと溢れて来て涙が止まらなくなります。
亡くなられたお一人お一人の無念さ、ご遺族の方々のことを思うと胸が苦しくなります。
地元の方々のご経験をできるだけ言葉にして、支援してくださった皆様、そして子供たちに
伝えていかねばならないと改めて思いました。
石巻市北上町と岩手県大槌町からメッセージをいただきました。
厳しい寒さもいつしか終わりを告げ、春の日差しを感じる季節となりました。支援者の皆様いつも大変お世話になっております。
震災から今日で3年を迎えました。地域でも追悼式典が行われ犠牲になった遺族や多数が参加されました。私事ですが、今日(11日)は朝から家族2人の遺体発見現場に花を手向けに行ってきました。海岸沿いにはたくさんの花があり手を合わせている方々が多く見られました。しかし、今日は特別な日ではありません。遺族の方々には毎日が辛く 毎日が悲しく 毎日が悔しい日々なのです。
先月、こんな辛い出来事がありました。津波で子供を亡くされた親御さんが自ら命を絶つという痛ましい出来事でした……。「自分が子供を守ってやれなかった」と病み続け、川に身を投げ亡くなりました。49歳でした。
毎日が苦しく毎日我慢をし毎日一生懸命だったのだと思います。
震災から3年経過しましたが「心のケア」が必要な大事な時期でもあることも感じました。これ以上の犠牲を出してはいけないのです。震災を風化させない為にも、次世代に伝える為にも、全国に訴え続けなければいけないと考えさせられました。
これからも応援よろしくお願い致します。北上町代表 武山英明
あの東日本大震災から3年の月日が経ちました。
早かったのか、遅かったのかは、人それぞれ違うと思います。その中で、私達町内の支援が必要な家庭、団体への沢山のご支援に心から感謝いたします。
震災から3年の日に、私も大変お世話になった先輩へお祈りをしに花束を持って町内の海に行ってきました。そこには、見ず知らずのお母さんと、3歳くらいの女の子がいました。
その時、女の子が海にむかってパパと叫んでいました。その姿を見て私は涙が止まりませんでした。まだまだ被災地には悲しみを背負って進んでいる方々が沢山います。しかし月日が流れても、この悲しみは消すことができないと思います。良いことも嫌なことも生きている限り思い出の1ページとして心に残るのですから。そしてそれを乗り越えて一歩一歩前に進まなければいけません。
私がご支援いただいている、一般の家庭の世帯は3世帯に現時点ではなりました。高齢者、子供のいる世帯です。
町内では、人口の減少が進んでいます。土地の値上がり、離婚者の増加、人口減による商売の悪化、ストレスによる他地域への移転
色々な現状の中復興にむかって進んでいます。私的にもいつまでも皆様のご支援に甘えて良いのかと思っています。
その中で、小世帯の家庭、子供達の部活動、スポーツクラブ、地元業者へのご支援のお手伝いを後、少しの間、進めていこうと思います。
この私たちが育った、町に豊かな海、緑、そして素敵な笑顔が戻ることを願い、子供達の未来のために一歩一歩進んで行こうと思います。最後に、震災後町内への沢山の皆様のご支援で笑顔が生まれました事に心より感謝いたします。有難うございました。
大槌町 土沢孝弘
昨年も沢山のご支援をありがとうございました
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
2013年も全国の皆様からたくさんの温かいメッセージとご支援を頂戴いたしました。
本当に本当にありがとうございました。
団体、東京サポート本部の2013年は、仙台本部と東京サポート本部の時間がうまく合わず、
連携がうまくできませんでした。
家庭の事情や出産等各人の状況も変化しており、家庭や仕事に追われる中、支援活動が継続
できるようにすることが今後の課題です。
昨日の代表挨拶でも触れていますが、祈望が支援している岩手県大槌町、宮城県の雄勝町、
北上町、南三陸町では、生活が成り立たず県外に引っ越すご家庭が増えており、人口の減少が
進行中です。
地元の中小企業、商店などでは、人口が少なくなるとお客様も減るので、経営も当然のごとく
苦しくなってきています。
また、地元の中小企業や個人商店は、被災地に参入してきた大手企業と価格競争になると、
かなり不利な状況となります。
特に自宅避難の地元企業の方は、建物を修繕するための費用を出せないご家庭も多いので
自分たちで専門外の大工仕事をこなしながら、受注したお仕事を仲間内で分け合い、
助け合ってなんとか生活している状況で、個人事業者は人口減少などで今後を考えると
不安な毎日だそうです。
地元市民の生活再建と復興を優先し、バランスよく仕事をシェアできる体制が望まれています。
なかなか復興できずあまり変わらないところと、少しずつよくなって来ているところと、
復興の格差が大きいようです。それでもやっと立ち直って来た1年でした。
今年は復興が速く進み、被災地の皆様にとって明るい年になるよう、願っています。
東京サポート本部 佐々木
2013年12月30日 岩手県大槌町の土沢さんより、支援者の皆様にお礼のメッセージを
いただきましたので掲載します。
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本年度のご挨拶です。
本年は、世界、日本の企業、個人の方々から沢山のご支援を頂き、有難うございました。
そして祈望スタッフの皆様のサポート有難うございました。
震災からもう少しで3年が経過します。
町の様子も少し少し復興にむかって進んでいます。
皆様の絆のお力で、子供から高齢者の方々へ笑顔と元気が
生まれました事に心より感謝いたします。
被災地には震災の恐怖を悲しみを忘れたい方々が
たくさんいます。その中で私たちは、恐怖と悲しみを
これからの、町の未来の為に子共達へ伝えて行かなければ
なりません。それがこの町へ豊かな海、緑、元気、笑顔を取り戻して
くれると信じています。
今、世界、日本で自然災害が増えています。災害時は命を守る行動を一番に
決して簡単なことではありませんが、これが震災から学んだ、
そして助かった生命の大切さから学んだ皆様に伝えられるメッセージです。
来年は、皆様から頂いた、元気と勇気で一歩一歩、前へ進んで行きます。
本当に、心より感謝いたします。有難うございました。
ONE FOR ALL:ALL FOR ONE
皆様、良いお年をお迎え下さい。 大槌町:土沢孝弘
__________________________________
今年も宜しくお願い致します
支援者の皆さま
いつもありがとうございます。
代表の金野です。
昨年は、たくさんのご支援ありがとうございました。
本年もどうか宜しくお願い致します。
東日本大震災から今年で3年が経とうとしています。
がれき撤去のめどが立ち、被災地では、現在残っている、津波の被害を受けた建物を残すべきか解体すべきか、相反する意見が出ています。
「見ていると辛くなるから…」との意見も多く、ほとんどの建物が解体されました。
たくさんの児童が犠牲になった石巻市の大川小学校や、南三陸町の防災庁舎も保存するか解体するかが検討されています。
がれき撤去のめどが立ったのと同時に復興の進展も止まってしまったように感じます。
町は解体によって更地になりました。
ここに町が存在して、人々が暮らしていたなんてとても思えない光景です。
たくさんの職員が犠牲になった南三陸町の防災庁舎には、全国から供養に訪れる方々が、今もいらっしゃるそうですが、その数は確実に減少しているそうです。
観光地として復興できていないいま、仮設商店街を経営されている方々も、先の見えない復興に大きな不安を抱かれています。
再就職先のない方々も多く、車も失った方々は生活費も厳しく、近くにお店もないため買い物にも不便されています。
支援者の皆様からの定期的なご支援、またアマゾンさんを通しての食べ物や飲み物のご支援には、たくさんの方々が助けられています。
本当にありがとうございます。
被災地では、まだまだ、困っている方々がたくさんいらっしゃいます。
今後ともどうか宜しくお願い致します。
代表 金野文武
震災からもうすぐ2年
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
明日で東日本大震災から2年目を迎えます。
震災から2年経過した現在、「きぼう」で支援している被災地への他の支援団体からの支援はほとんどなくなったということで、全国の皆様から継続してお心のこもったご支援ををいただけることを、被災地一同、祈望一同、感謝申し上げます。
いただいた物資は、本当にひとつひとつ有り難く、大事に頂いているそうです。
昨年も大事に頂いていたそうですが、今年はさらに貴重品となっており本当に有り難いことですと、おっしゃっていました。
被災地では、昨年よりさらに厳しい生活状況になってきている地域もあるということです。
再建できたお店や工場が少ないため雇用が生まれにくくなっており、地元で生活できないため、故郷から出て行く方が増えているからです。
復興には地元商店の再開とインフラ整備が重要となっておりますが、県外からの大手ゼネコンの参入が足かせになり、地元の業者さんにお仕事が回って来ないという状況が続いています。日本以外の国の業者さんも混じっているらしく、地元の業者さんからは、本当に復興させたいと考えているのなら、なぜ地元の企業に仕事をさせないのかと疑問の声が上がっています。
地元の企業様は厳しい経営の中、がれき拾いなど、高齢者や一般の方々でもできる軽作業のお仕事を用意して、雇用を続けてきました。国や役所がそのような予算を出せないということで、地元の企業様がやってきたのです。しかし、今年になって簡単なお仕事が少なくなり雇用する事が難しくなって来ていて、来月からは解雇しなくてはならない厳しい状況なのだそうです。
昨年の復興予算の使い道が酷いことになっていましたが、その陰では地元では大変な状況になっています。
そうした今後どうなるかという不安のある中、それでも、被災地の皆さんは明るく前向きに頑張っていらっしゃいます。
今回山本様はじめ支援者の方から、割り箸やお盆をご支援いただいた、南三陸町の復興商店街
「南三陸さんさん商店街」で営業を再開された「松原食堂さま」をご紹介します。
昨年の2月25日にオープンした、南三陸町の復興商店街で営業中です(この復興商店街もオープン当初は県外からのお客様が貸し切りバスなどで団体でお越しくださったり、支援団体の皆様で賑わっていましたが、徐々にお客様が途絶え、昨年から商店街全体で厳しい営業が続いているそうです。
家賃や光熱費も普通にかかってきますので、経営が厳しくて撤退される商店もあるとのことです。地元の仕事が少ないため町を出ざるをえないご家族も多く、人口の減少が進行しています。今後、どのように営業を続けて行くかが課題となっています)。
ご支援いただきました山本様はじめ支援者の皆様、誠にありがとうございました。
松原食堂の奥さまから御礼のメッセージとお写真をいただいています。
南三陸町にお越しの際はぜひお立ち寄りください。
南三陸町の復興商店街「南三陸さんさん商店街」
宮城県本吉郡南三陸町志津川御前下59-1
http://www.sansan-minamisanriku.com/
引き続き、被災地で頑張っている方々への応援どうぞよろしくお願い致します!!
【現在募集中のオフィス支援】
◎松原食堂(南三陸町) 小鉢30個、割り箸(5000本)
◎ガソリンスタンド(北上町) タイヤラック、チェーンソー
◎神割仮設住宅(南三陸町) 大工道具の工具類、草刈り機械
◎地元大工さん(岩手県大槌町)の使う工具類
マキタ製の工具。できれば、電気のない現場でも使用可能なように充電式工具です。
・充電式ピンタッカ×1(14、4V又は18V)
・充電式チップソー切断機×1(14、4V)
・充電式ハンマードリル×1(18V)
・卓上ボール盤×1・工具セット×1
東京サポート本部
佐々木
宮城県の漁業の現状をご報告します
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
今日は、宮城県沿岸部の漁業の現況をご報告いたします。
昨日は、約2万世帯5万人が移転できるような広い土地がないため、応急仮設住宅(プレハブ)からの高台移転が進まず、
仮設住宅暮らしが震災から5年〜10年後位まで長引くのでは
ないかというお話をしました。
地元の皆さんは町と県にも掛け合っているそうですが、最終的には国だからということで動けないらしく、移転の見通しが立たない不安な日々を過ごしているそうです。
また、地元に仕事が無いという問題も不安の種になっています。
沿岸部は今まで漁業で成り立っていた町なので、加工工場が再開して漁業が復活しないと生活が成り立ちません。
津波で工場内の機械や近くの倉庫が流されても、本体の工場が半端な破損状況で残ってしまうと罹災証明が出ないため、助成金の申請ができません。
メインの建物が残っていれば罹災扱いされませんので、事業者は再開するための資金を自分でつくらなくてはなりません。
ご存知の様に、銀行は震災前のようにお金を貸してくれなくなりましたので、建物があっても電気も機械も入れられず、仕事を再開できない工場がいくつもいくつもあるそうです。
しかし、なんとか工場を再開できた企業さんも、漁師さんも、別の問題で苦難が続いています。
放射性セシウム汚染の影響で、三陸の魚が売れないからです。
三陸の魚を高値で購入してくださっていた関西方面や、お隣の中国や韓国でも、消費が減っているそうです。
今年のアワビの水揚げは、津波で流されたため例年の1/10位だったそうです。
中国、韓国では受け入れ拒否で輸出できなくなりましたので、
今まで高値で買われていた「アワビ」(乾アワビになるそうです)などの需要が減り、地元業者は安く仕入れることができるようになりましたが、売りにくい商品となりました。
漁師さん達が漁に出る、志津川、歌津、十三浜などの数十件の支所でも毎日検体検査をしているそうです。
県漁協でも毎週1回ずつ検査をして安全ですという証明書をつけているそうですが、証明書付でも買ってくれるところが減っているとのこと。
問題のない魚は沢山ありますが、売る商品が目の前に沢山あっても、風評被害で売ることができないのがとても苦しいとおっしゃっていました。
震災直後の国と東京電力が正しい情報を提供してくれていたら、これほどの不評被害にならなくて済んだのではないか、消費者の皆様も測定情報に不信感を持つこともなかったのでは、と漁業関係の方々は悲しんでいるそうです。
正しい数値で消費者の皆様に信用していただき、美味しくて安全な魚を食べて欲しいとおっしゃっていました。
漁協も市場の流通も、信用問題にかかわるので正確な検査を行い、100%間違いない魚を販売しているそうです。
取り扱うスーパーも信用問題に関わるので、証明書付の安全な魚を販売しています。
市場に流通している魚は食べても安全なので、安心して食べて欲しいとおっしゃっていました。
安全でない魚はどうなるのかというと、すべて焼却処分になります。市場に出ることはありません。
これからの季節は「タラ」ですが、放射性セシウムの基準値を超えているため、処分されます。
仙台港から南では「ヒラメ」(※)が1400ベクレルという最高値が出たそうです。「スズキ」などの高級魚も基準値を超えたので処分されています。
※2012年11月4日現在まで「カレイ」からは検出されていません
これら焼却処分される魚は、東京電力へ賠償請求されていますが、全て支払われてはいないそうです。
漁師さん達は旬のものの漁をします。
( 漁獲量 + 焼却処分費用 )の合計金額(普通に販売するより安い金額で)を東京電力に請求し、いつ支払われるかわからないため、その請求額を漁協が立替えて漁師さんに支払っています。漁協でも何億円もの金額を立替えることは難しいので、先が見えて来ています。漁師さん達は船を出しても燃料の油が高く、人件費もかかるので、かなり苦しい状況だということです。
漁師さんと漁業関係にとって、一番恐いことは、山からの雪解け水が海に流れてくることです。
海がきれいになっても、地上から降りてくる放射性セシウムによって魚の汚染が濃縮されることが懸念されています。
養殖を再開して「ホタテ」や「ホヤ」の種付けをしたとしても、
水揚げする3年後にどうなっているのか?
数千万円の投資をして3年後に安全な水揚げになるのかが見通せない状況です。
「がんばる漁業」という国からの補助で養殖を行っているところが
ありますが、国に頼っていることろでないとリスクが大きくて無理なので、
浜の方々は養殖は見合わせて様子を見ているということでした。
11月5日、10名の方々が東京の築地から視察に来られたそうです。
実際に自分たちの目で見て、東京に報告したいということです。
全国の消費者の皆様に本当のことを知って欲しいということでした。
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部 佐々木
宮城県漁業協同組合のホームページ
http://www.jf-miyagi.com/index.html
●現在募集中の支援物資情報です(Amazonジャパンに登録中)。
【北上町】
暖房器具のないお宅が4件あります。
石油ファンヒーター2台、石油ストーブ2台です。
また、これからの時期は暖房を使いますので、狭い仮設住宅の中で気管が弱い子供、
喘息気味の子供たちの世帯から、加湿器付き空気清浄機のご要望があがっています。
【大槌町】
両親が病気で入院又は通院で生活状況が悪化しているご家庭が4世帯があり、
中高生の女の子の衣類(下着、衣服、防寒具など)と食品が不足しています。
両親の介護をしながら通学しています。
町全体の復興は進んできましたが、少数の厳しいご家庭があります。
どうぞよろしくお願い致します。
宮城県石巻市北上町と南三陸町の現況
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
宮城県石巻市北上町と南三陸町の現況をご報告いたします。
支援者の皆様からの温かいご支援のおかげで、支援が必要なご世帯は40〜50世帯までになりました。
その中でも、本当にどうしようもない程お金がない厳しい生活をされているご世帯は、まだ約20世帯ほどございます。
私のように東京などの都市に住んでいる者には、近所にコンビニやスーパーがあり、様々な会社もありますので、
「被災地の厳しい生活」というものがどんなものなのか、なかなか想像しにくいと思います。
沿岸部ではいまだに仮設住宅に住み続けている世帯が多く、昨年から殆ど変わらない生活が続いています。
当初2年の予定だった仮設住宅の生活は、3年に延び、5年に
延びました。
依然として高台移転の計画がまとまらず、造成して5年後までに家を建てることは、まず無理だろうと言われています。
また、公営住宅の建設予定もないということなので、現在も
ぎっしり人が住んでいる仮設住宅は、北上町の武山さんのお話では10年後もこのまま暮らしている可能性が高いと思います、とのことです。
仮設住宅に住んでいる世帯は、5年後からは世帯主の収入額に応じた「家賃」を支払わなくては
なりません。
お年寄りや収入のない世帯は0円ですが、このままここで生活してても昨年と変わらない
苦しい日々です。
被災地の若い世代の方々や動ける世帯では、働き口を得るために町を出て行かれました。
収入が0というご家庭は、
・地元に仕事が無い
(今まで漁業で生きて来たため、他の異なる仕事に就くことが困難。地元の漁業関係の企業が
壊滅状態、助成金が出なくて工場が再開できない、今までの土地に建てられない、などの理由で
仕事場が少ないので、遠方にしか働き口がない。)
・夫を亡くし小さい子供を抱えているため遠くに働きに出られない
(近隣どうしのコミュニティで順繰りに子供を預かったりという支え合いはありますが、
毎日預かってもらうことが難しいため、労働時間などの条件の見合う仕事に就くことが
困難になっている)
・親が癌治療で療養中のため働きに出られない
(家族の介護のために遠方の仕事に就くことが困難)
・病気のため働けない
・お年寄りだけの世帯
(家族を亡くした世帯、高齢のため雇ってくれる所がない等)
という方々で、震災直後と変わらぬ苦難、世帯によっては震災直後より厳しい生活が続いているということです。
先日独り暮らしのおばあさんが亡くなりました。
お米や食品を持ち寄って地域の方々で面倒を見ていたそうですが、「人様に迷惑をかけてまで
生きるのは辛い」とおっしゃっていたそうで、せっかく助かった命を自ら断ってしまったそうです。
周囲の皆様の悲しみは途方もなく大きなもので、怒りと悲しみが広がりました。
地域では生活困難なお宅に「生活保護」の申請をしたらということで、
周囲の方々が役所に連絡を入れたり、一生懸命だったそうです。
自分で出向けない世帯には、役所の方に来ていただこうと何度も呼んでくださったのですが、
「助けてください、人を殺す気ですか」と必死の呼びかけにもかかわらず、役所は来てくれなかったということです。
わずかでもお金があったなら、ここまで思い詰めなかったのでは、と地域の方々は悲しんでいます。
全国的に生活保護の不正受給事件もありますが、本当に困っている方々のところに、1日も早く支給される体制が望まれています。
また明日、続きをご報告いたします。
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部 佐々木
●現在募集中の支援物資情報です(Amazonジャパンに登録中)。
暖房器具のないお宅が4件あります。石油ファンヒーター2台、石油ストーブ2台です。
また、これからの時期は暖房を使いますので、狭い仮設住宅の中で気管が弱い子供、喘息気味の子供たちの世帯から、加湿器付き空気清浄機のご要望があがっています。
どうぞよろしくお願い致します。
三菱商事ユニメタルズ(株)様が、岩手県大槌町でボランティア活動
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
私的な事情でしばらく活動報告を更新できませんでした。
これから少しづつになりますが、アップして行きますのでよろしくお願い致します。
8月17日と18日に、昨年から積極的に被災地に継続支援してくださっている三菱商事ユニメタルズ(株)の松木様をはじめ12名の皆様が、大槌町にボランティアに来てくださいました。
個人の力で支援活動をしてくださっているグループの皆様です。
昨年はクリスマスに子供たちにお菓子を、今年はバスケットボールやカメラ、食品など、定期的に様々なご支援をいただいております。
大槌町の土沢さんから、写真を送っていただきました。
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支援者の皆様。いつもご支援ありがとうございます。
大槌町の土沢です。
先日、町内に沢山のご支援を頂いている三菱商事ユニメタルズの松木様とそのお仲間の方々が、町内にボランティア活動に来てくださいました。
二日間の活動をして頂き、海岸の砂浜の清掃、公営住宅建設予定地の草取りと、猛暑のなか頑張って活動してくださいました。本当に感謝です。
とても綺麗になっていました。
この場所で町内の皆様の新しい思い出の一ページが生まれる事に、心より感謝いたします。
1日目の夜(8月17日)ほんの僅かの時間でしたが、皆様とお会いして仮設店舗で飲食をすることができました。
今の現状、今後の課題とお話ししました。
現在の町内の状況は、
支援を必要としている家庭は、お陰様で支援活動当初の半分以下の5~8世帯になりました。
生活支援を必要としているのは、高齢者、及び学生の子供がいる世帯です。
その中で、両親が入院している中高生の世帯が4世帯あります。
その他に、場合によっては、オフィス支援を必要としている中小企業、スポーツ団体へのご支援をいただいております。
雇用が安定して生活も安定した家庭が増え、ご支援頂いている
世帯が減りました事に感謝いたします。有り難うございます。
今後の課題は、
個人企業への支援活動、そして人口減少による売上の減少をどう抑えて行くか。
そして松木様のグループのような個人のグループの皆様が、ボランティア活動しながら復興を応援してくれていることを、
どのように大槌町内の人達に伝えて行くのか、地元の人達への
情報発信が課題です。
松木様のグループは、地元のボランティアセンターでどこを
清掃するのか指示をもらって、ボランティア活動をしてくださっ
たのですが「私たちは他県から来たよそ者だから、地元の方々は
『何でよそから来て勝手に掃除しているの』と思われているかもしれません。
でも、どう思われても、私たちは復興の為にやりたいからやっているの。」とのことでした。
このような素晴らしい活動をしてくださっている皆さんがいることを、地元の皆さんにも
理解していただきたいと感じています。
皆様、若いのに素晴らしい最高の方々でした。
写真向かって左の手前の方からグループの代表者の田中さん、松木さん、私です。
松木様は石巻市のご出身だそうです。
皆さんは、月一回のペースでメンバーは変わりますが、岩手、宮城の各地区でボランティア
活動をされているそうです。
本当に祈望を通じて、この用な素晴らしい方々にお会い出来た絆に心より感謝いたします。
私達も皆様に負けないように復興に向かって頑張って参ります。
何年か先に大槌の海の幸で皆で笑って飲み食いできる日を楽しみに。
色々有り難うございました。
大槌町代表 土沢孝弘
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継続的なご支援に心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。
東京サポート本部 佐々木
北上町に仮設スーパーがオープンしました
支援者の皆様こんにちは
いつも温かいご支援ありがとうございます。
東京サポート本部の佐々木です。
ご報告が遅くなりましたが、4月14日 北上町に仮設店舗がオープンいたしました。
お店の名前は『WE ARE ONE KITAKAMI』といいます。
アメリカのスーパーマーケット『WE ARE ONE』様が仮設店舗
出店に協力してくださったので、英語の屋号なのだそうです。
・住所は 〒986-0201 石巻市北上町十三浜字丸山37-1
・営業時間(通常) 10時〜18時まで
・代表は、 武山 俊彦さんです。
いま取扱っている商品は、お魚・お肉・野菜などの生鮮食料品、
お弁当、お惣菜です。
これから商品をだんだん増やして行きたいということです。
北上町の仮設商店は1つの大きめのプレハブに7人のお店が
入店する共同商店となります。
お店は15坪(7m×7m)の仮設プレハブで、棚も少なくて
わりと狭いということですが、ようやく近くでお買い物が
できるようになった、と地元の方々が喜んでいるそうです。
これまでは交通の便がなく、買い物一つするにも1日がかり
だったので、どれだけ皆さんの生活が楽になるかと思うと、
本当に嬉しいですね。
被災地の中で一番遅い出店だけれども、お客さんが来なくて
困る事のないように、みんなでがんばっぺ!とおっしゃって
いました。
北上町のスーパーの近くには、仮設住宅団地が180棟あり
ますが、そのうち現金収入のあるご世帯は半分位で、あとの
半分くらいは一人暮らしのご老人やご家族を亡くされた一人
暮らしの方々です。
実際のところオープンしてみて、周囲の状況が状況なだけに、
通常のお店のように利益を出して営業していくのは並大抵の
苦労ではないようです。
各地の被災地でも、仮設商店街に出店されてもお客様が少な
くて経営が成り立たず、撤退されるお店も多いとの事。
家庭の事情が厳しくて、安いものしか購入できない世帯も
多いそうで、被災地で経営していくにはどの町でも大変な
ご苦労があるようです。
やっとできた北上町のお店1号店です。このスーパーが中心と
なって、なんとか頑張って地元の皆さんに元気になってもらって、町を盛り上げていっていただきたいと思います。
どうか皆様の温かい応援をよろしくお願い致します!
ようやく支援の届きにくいエリアにもお店ができましたので、
祈望としても、被災地のお店に影響の出ないように、支援内容を
考える時期に入りました。
被災地のニーズをよく聞いて、慎重にして行かねばと思っております。
というのは、ある地域でボランティア団体から大口の支援物資が
届けられたが、それらの支援のためにようやく再開できた地元の
お店の商品が売れず、収入につながらないので困窮しているとい
うご相談をいただくようになりました。
地元のお店が開店しだしたら、地元で手に入らないものを
ご支援いただくとか、義援金を集めて地元のお店で消費する、
という支援体勢にシフトすることが必要ではないかと思います。
実際に被災者の方々にお電話で聞いてみると、皆さん口を揃えて
必要な物を、必要な時に、地元のお店で購入できる支援があると
とても有り難いというお話をされていました。
地元で手に入らないものは、もうすこしの間、他県の皆様から
助けていただき、地元で売っているものは、地元のお店から
支援できるようにして行こう、ということで当団体でも被災
地のニーズと復興状況に沿った支援に変化させていきましょう、
ということになりました。
しかし、被災地の方々の収入は震災前の半分以下や、まったくゼロの
方々も多いので、とても自力で購入する力のない方々もいらっしゃいます。
もうあとどのくらいの時期になるかはまだわかりませんが、地元の
商店に影響の出ない範囲で他県からのご支援をお願いしつつ、
だんだんと地元のお店から、という風になって行くと思います。
人口が流出し、お客さん自体の数も少なくなっているためお仕事の量も
少なくなって来ており、地元の方々の生活基盤をつくっていかないと
将来とても厳しいことになりそうです。
支援物資と地元商店との兼ね合いが難しいですが、被災地の声を
よくきいて、1日も早い復興につなげてまいりたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
東京サポート本部 佐々木
北上町 支援物資用の口座を開設いたしました。
必要な支援物資を、必要な時に、地元のお店で購入して、自宅避難の
方々へお届けいたします。
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【北上町の支援物資用口座】
七十七銀行 泉支店 普通:5866901
(シチジュウシチギンコウ イズミシテン)
一般社団法人 祈望 北上支部 代表理事 金野文武
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この口座にお振込いただいたお金は、地元の困窮している
自宅避難の方々のための支援物資購入に使わせて頂きます。
毎月1回、どのような物資を購入したのか、収支報告を
「祈望」HPでご報告いたします。
物資購入とお届けは、信頼できる北上町代表の武山英明さんが
担当してくださいます。
祈望が係わっている地区は、自宅避難の方々のところなので
義援金はゼロで、1円も貰っていない方々です。行政からも
他ボランティア団体からの支援もない、本当に大変な方々のところです。
震災直後の、電気も水も食べるものも着るものも何も無い時に、被災者の
ために私財、物資をすべて出してくれた方々が、現在非常に困っています。