Monthly Archives: 5月 2011
大指林業者生活改善センター避難所に支援物資をお届けしました
石巻市(旧北上町)大指林業者生活改善センター避難所に支援物資をお届けいたしました。
支援してくださった方々
中島佐奈絵様
渡部 育代様
(有)稲田工業 稲田貞幸様 稲田幸美様
本田 圭吾様
(株)エバタコーポレーション様
日本建築塗装職人の会 様
(株)サカイデザイン アソシエイツ様
避難所にテレビを設置いたしました。
提供:(株)エバタコーポレーション様
支援してくださった皆様ありがとうございました。
嬉しい報告があります。
この避難地区でも、ようやく電気の復旧工事が開始となりました。
避難所に着いて、先週とは何か雰囲気が違うな?と感じました。
先週よりも、避難所の皆さんの顔が明るかったのです。
聞いたら電気の復旧工事が開始になったそうです。
そういえば、自分の時も電気が点いたときは感激でした。
震災から2ヶ月以上の月日が流れました。
多くの人々が、普通の暮らしへと戻りつつあります。
そして、あの未曾有の出来事も過去の事として少しずつ記憶から薄れていきます。
これから、どれだけの人々が、震災を心に刻み生きていくのでしょうか…
失ってはならないもの。
助け合いの心。
普通の生活へと戻っていくことは素晴らしいことです。
だけど、「感謝」だけは忘れてはなりません。
被災地から代表して皆さまにお伝えしたいと思います。
「本当に本当にありがとうございます。」
今の私たちには、この言葉しか見つかりません。
代表 金野
石巻支部での仕分け作業
石巻支部で仕分け作業を行いました。
今日は静岡支部の後藤が支援活動と現地視察に来ました。
車を譲っていただいた場合の名義変更の効率化についてミーティングしました。
茨城県から支援物資を届けてくださいました
今日は茨城県から、自らトラックを運転してエバタコーポレーション様がオフィス用品の支援物資を届けてくださいました。
本当にありがとうございます。
その後、仕分けを行いました。責任を持って、被災地にお届け致します。
支援してくださった皆様ありがとうございました。
副大表 倉田
蒲生地区 中古車専門販売店 オートラウズさん
福岡の友人に頼まれ、仙台港に某会社の安否を確認に行って来ました。
その会社は残念ながら津波の影響を受けてしまっていて、営業はされていませんでした。
仙台港の隣には蒲生地区があります。
この蒲生地区には日頃お世話になっていた業者さん、知人がいたのですが、震災後、ずっと連絡がとれませんでした。
地震のすぐ後に心配で直接訪ねたところお店は流されてしまっていて、基礎のみ(画像)が残っていました。
仙台港から福島県二本松市に視察に向かう途中、蒲生地区を通ると、その「オートラウズ」さんがお店を立て直していました。
会社の社用車はこのオートラウズさんで購入していたので、復活は本当に嬉しいかぎりです。
嬉しい事にもう1人の知人も無事で、現在は石巻市で避難生活を送っているとのことでした。
3月11日の地震直後は、まさかここまでは津波は来ないだろうと、誰もが思っていたそうです。
しかし、町内のアナウンスや消防団の方々の尋常でない避難の呼び掛けに、オートラウズさんも事務所を出たそうです。
津波が来たのは、その20分後でした。
もう1人の知人は避難が遅れてしまい、津波に追われながらギリギリ逃れたそうです。
オートラウズさんでは、車の整備に必要な機材が全て流されてしまいました。
ゼロからの設備投資は、とても厳しいと仰っていました。
蒲生地区は津波の被害が大きく、退去勧告が出される可能性もあるため、雑誌などでは幅広く広告も出せないそうです。
この状態では状況を理解してくれる知人関係にしか、販売はできないとのことでした。
オートラウズさんには、来週、全国の皆様からお送りいただいたパソコンを2台お譲りさせていただきます。
また、オートラウズさんからは、物資の不足している地域に譲ってくださいと、食器、服、作業服をお譲り頂きました。
ありがとうございました。
仙台港付近の会社やテナントや飲食店は、多くが廃業や撤退に追い込まれています。
華やかだった産業道路も45号線も、今は夜になると暗く、車の通りも僅かです。
そのような状況の中でも、オートラウズさんは再び立ち上りました。
もし車の整備に必要な機材等、買換えなどをお考えの方がいらっしゃれば、お譲り頂けないでしょうか。
この後、午後から福島県二本松市に視察に行って来ました。
何年も使用していない土地を所有しているので、お役に立てるようであれば、お譲りしたいとの申し出をいただきました。
仙台からは120kmほどの位置です。
現地をしっかり見てきました。
さっそく二本松市の行政にご相談させていただきます。
何かのお役に立てることを祈っています。
代表 金野
小さな避難所 大指林業生活改善センター
今日は北上地区に衣類を届けに来ました。
至る所で道路や橋が崩壊してしまい、ほとんどの道が架設の
砂利道になっています。
段差は著しく激しくて、雨の日や満潮時は道路が冠水します。
危険が多いため、学校にお子さんたちを通わせてあげることができません。
現在は、校長先生が避難所に出向いて勉強を教えてくださっているそうです。
石巻市、南三陸町、気仙沼市は国道45号線、三陸道で繋がっていて、比較的、支援物資が入りやすい立地条件になっていますが、北上地区は45号線から離れているうえに、小規模の避難所が点在していますので、支援物資の搬送が困難です。
現在は民間からの支援物資は、ほとんどありません。
唯一の頼りは自衛隊による配給のみです。
この地区は約200世帯で400名~500名ほどの方々が暮らしています。
お子さんは高校生までで50名ほどになります。
この地区は電気、水道、ガスの復旧の予定すら立っていません。
現在は、地域全員の分の食事を避難所で協力しながら作り、
各自が自宅に持ち帰り食事をします。
避難所の収容人数が限られているため、雨風凌げる方々は、
たとえ自宅が損壊していても戻るしかありません。
ここの避難所のほかに5ヶ所、被害の少なかったお家に
4家族15人くらいずつ避難をされています。
地域のほとんどの方が、親族、自宅、車、家財道具を失いました。
大きな避難所には、有名人が炊き出しに来てくださったり、
多くの支援物資が全国から届きますが、
小さな無名の避難所には、誰も来ませんし、支援物資も届きません。
この地区の方々は、下着は3日~4日に一度、靴下も穴だらけのものを履いています。
何もかもが不足しています。
お風呂は、全て手作りで沢水を利用しています。
お風呂の沸かすボイラーも拾って集めて作ったそうです。
おばあちゃんに何か食べたいものがないか尋ねると漬物が食べたいと言っていました。
若い方々は冷蔵庫もありませんので、本当にたまにでいいから冷たい水が飲みたいと言っていました。
小さなお子さんがいる方は、一口でもいいからアイスを食べさせてあげたいと言っていました。
仙台から、たった1時間半の地域です。
岡山県の総社市から被災者の方々へと何千人分もの肌着や下着が届けられた時は、新品の靴下や下着にみんなが、大喜びでした。
仙台は復旧が比較的早く、私は同じ宮城に住んでいながら、電気も水道もガスも何の苦労もなく使えるようになりました。
毎日、キレイな靴下を履き、風呂上がりには冷たい水を飲み、
温かいごはんを食べています。
そのことが、とても贅沢なことに思えます。
震災後、仙台にいた誰もが同じような気持ちだったと思います。
便利な生活を当たり前のように過ごしてきました。
不便な日々を過ごし、近所の方々と助け合いました。
全国の多くの方々から支えられ、人のありがたみや想いやりに改めて涙した人も多かったはずです。
でも、まだまだ苦しい日々を送っている方々が、何万人もいます。
テレビに映っている内容は、遠い所で起きている出来ごとではありません。
車ですぐ行ける身近な所で現在進行形で起きている事実なのです。
私は祈望の代表を務めていますが、本当は偉そうなことを言える立場ではありません。
阪神大震災のとき、私は1円も募金しませんでした。
どこかで、自分には関係ないと思っていたのでしょう。
本当に恥ずかしく情けないことです。
そんな私が、今は全国の方々に支えられながら、被災地の支援をさせていただけていることは、本当にありがたく感謝の思いでいっぱいです。
私は金持ちでもありませんし、権力を持っているわけでもありません。
ただ、目の前にいる困っている人を見て見ぬふりができないのです。
私自身、数多くの困難を乗り越えてきましたが、いつも誰かに支えられてきました。
私を支えてくださった方々は、私からの見返りなど求めてはいなかったでしょう。
無償の思いは尊く、温かい心に触れた人々は大きな勇気を得るでしょう。
このホームページを見てくださっている方々へお願いがあります。
できる範囲で構いません。
下記に挙げる物品を継続的に送っていただきたいのです。
・下着、肌着、靴下(年齢問わず)
・毛布、タオルケット、シーツ、バスタオル
・水、お茶
・玄米(白米は日持ちしないので悪くなってしまうため)
・カップ麺(現状は1000食あっても5日で無くなります)
・レトルト食品
・漬物類
・エアポット(電気復旧の目途が立たないため)
・クリアケース(3段で引き出しあり⇒避難所の場所が狭く
スペースを確保するため)
・鍋、フライパン、ハシ、スプーン、フォーク、お皿
・つなぎ(作業服)
・服
・シャンプー、リンス、ボディーソープ、洗顔フォーム
被災地の方々は義援金も支払われておらず、車もありませんし
失業中・休業中の方ばかりです。
この避難所の方々のために少しでも多くの物資を送っていただけませんか。
どうか宜しくお願い致します。
代表 金野
被災地に車2台をお譲りできました
被災地支援で難しいと思われていた車の支援ですが、ようやく7台目となりました。
下取りに出せば、もちろん金額の付くお車です。
パジェロミニを譲ってくださった方は、私と同じマンションに住んでいる志賀さんです。
奥様が22歳の時に初めて購入した、思い出の詰まった大切なお車です。
手放すにあたって多少の寂しさはあるそうですが、
困っている方々のお役にたつのならばと譲ってくださいました。
仙台市泉区七北田にある免許センター前のコスモ石油は、
私が会社でも個人でもお世話になっているガソリンスタンドです。
色々とお声掛けしてくださって、車検は切れていましたが、軽自動車を譲ってくださいました。
午前中、区役所に仮ナンバーの手続きをしに行ってきました。
今日は新潟支部の近藤さんと、広島から古くからの友人が車で20時間かけて支援物資と活動協力に来てくれました。
みんなで車を清掃し、それぞれ、広島と新潟からの長時間運転であったのに申し訳ありませんでしたが、
早速、石巻支部まで被災地にお譲りする車を運転してもらいました。
被災地への車の支援は500台を目標としています。
一人一人へ1台ずつのの支援は難しいですが、
自宅避難されている地区に1台あるだけでも、ご近所で共同でお使い頂ければ、だいぶお役に立てると思います。
車は被災地の方々も、送料や諸費用など何とか工面しようと頑張っています。
これから買換えを予定している方や、譲っても構わないという方がいらっしゃれば、どうかお譲りください。
宜しくお願い致します。
代表 金野