Monthly Archives: 4月 2011

4月29日の夕陽

仙台へ戻る途中、目の前に眩しいほどの夕陽が広がりました。
各被災地で、地元の方々と現在進行形の悩み、不安、願いなどを伺い、問題が山積している現実に誰もが、これからの険しく困難な長い道のりを覚悟しました。
自分達の及ぶ力を遥かに超越している数々の試練が私たちを待っています。

帰り、私の車の中には、現地視察に来てくれた祈望 東京サポート本部のメンバーが乗っていましたが、口を開く者はいませんでした。
テレビや写真で見ていた被災地の被害風景。
テレビや写真からでは、伝わりきれない生々しい現実を初めて目の当たりにして、言葉だけではなくて、本当に日本がひとつにならなければ、復興は叶わないのだと思い知らされた一日となったのです。

みんなこの国の何処かで同じ夕陽を見ているはずなのに、見ている場所が違うだけで、こんなにも置かれている環境が違うなんて・・・。
家も車も家族も津波で流され一人ぼっちになってしまった方も大勢います。
何かも失ってしまった子供たちもたくさんいます。
いつの日か、本当にみんなが心から笑える日が訪れるように全力で頑張ろう!
サポート本部のみんなと改めて心に誓ったのです。

代表 金野



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石巻市の問題

祈望 石巻支部に送って頂いた物資です。各被災地の動ける方が受け取りに来られ、主に配給の行き渡らない車も流されてしまった自宅避難民の方々に配達されます。支援してくださった皆様、ありがとうございました。


自衛隊の方々の活躍で瓦礫は減りましたが…

南三陸町で搬送、視察を終え、石巻へ来ました。
支援物資を倉庫に下ろして、早速、祈望石巻支部長とミーティングを行いました。
石巻市でも今の復旧・復興の状況には様々な問題があります。

震災前に完了している公共事業の工事代金が、未だに石巻市から施工業者に支払われておらず、
更に義援金も全く支給されていないとのこと。
一方、役所の方々には、きちんと給料が支払われています。

被災地の経営者の方々は、いつまでも支払いを待っていることはできません。
被災された経営者の方々も、従業員の方々や材料屋さんにお金をお支払いしなくてはなりません。
「きちんと終わった工事代金を払ってください。」といくらお願いしても、もうすぐ払うの一点張りで、なかなかお支払いして頂けないそうです。

市民の生活も困窮しています。
家や車は津波で流されても、ローンは引かれていきます。
復興にお金がかかるからなのか、これからの予算が決まらないからなのか、行政からは何も明確にしてもらえないそうです。

震災から1ヶ月半が経ち、ようやく宮城県行政からパソコンが支給になったそうです。
何故パソコンがこんなに時間がかかるのか?
民間の方々が震災から10日後には、全国からパソコンを届けてくれたことを伝えると、「電気が復旧していないからパソコンはどうせ使えないと思った。」と…。

また行政が用意してくれた架設シャワーが、水道が復旧していない現在は川の水を使用するしかなく、そうすると川のゴミが目詰まりして使えないと分りました。
そこでみんなで協力して、拾ってきた器具でなんとか給湯器を接続して、川の水ですが、お風呂に入れるよう自作しました。
すると「この避難所だけ風呂が使えると、他の避難所と不公平が生じるため、解体するように」と行政から指摘されたそうです。

行政はこの緊急時に、なぜ体裁を気になさるのでしょうか。
たしかに自衛隊の方々や警察の方々、消防の方々の活躍により瓦礫はどんどん撤去されています。
彼らには、きちんと頑張られた分、お給料が支払われます。

しかし、同じように雨の日も風の日も、朝早くから暗くなるまで、クタクタになりながらも、例え報われなくても、無償で瓦礫を撤去し続けている民間の方々もたくさんいらっしゃいます。その方々には、給料が支払われることはありません。

公務員も民間も同じ人間です。
決して公務員の方々を否定しているわけではありません。
被災地では行政の方々も被災者です。
市民、町民を救うために最後まで職務を全うして、命を亡くされた方も多数います。
民間と協力して何とか地元を復興したいという方々もたくさんいます。
今は、強いリーダーの勇気ある決断力、行動力が求められているのです。

民間が善意で動けば動くほど国は助かっているはずだと思います。
そのことを真正面から受けとめて、復興と生活再建の後押しをしていただきたいと思います。
裕福な人など、ほんの一握りです。
被災者は限られた生活費の中から、自分にも何か出来ないか?と必死に考え行動しています。
その「心」がくじけないように少しでも後押ししていただきたいと願います。

避難所の皆さんはおっしゃっていました。
震災から数日間は、行政の対応に絶望感を抱いていたと。
でも、全国のたくさんの方々から心の詰まった支援物資が届きました。
私は伝票に貼られている送り主の住所を剥がさずに被災地の班長さんに託していました。
全国47都道府県から届く物資を前に、皆さんは勇気をもらったと涙ぐんでいました。

「あなたは、見捨てられていない!一人ではない!みんなが応援している!頑張ろう!」
被災地で消えそうだった希望の光が、全国の皆様の支えで、また輝こうとしているのです。

私は現在37歳ですが、宮城県の復興は20~30年、国の方針次第では破綻する自治体も出るのではないかと考えています。
私は被災地の皆さんが元気なうちに復興を成し遂げて、生活を再建させたいと願っています。
被災地の方々はこんなにも地元を愛し、目先の損得ではなく、またここで働きたいと心から願っているのです。

ライフラインが復旧していない被災地では、このホームページを見ることができません。
全国のたくさんの方々が応援してくださっていることもまだご存知ないでしょう。
たくさんの被災者の方々は、何も変わらないどん底の日々に希望を失いかけています。
県外では、宮城県の復興は順調に進んでいると思われがちですが、現実は厳しいものです。
正常に動き出したかに見える仙台市も二次被害、三次被害の経済停滞の波がじわじわと押し寄せています。
全国の皆様の善意とお力がまだまだ必要なのです。
どうか、被災地の方々の心に希望の光を照らし続けていただきたいと願います。
心よりお願い致します。

代表 金野


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南三陸町の現実








祈望 東京サポート本部のメンバーと南三陸町(合併前は志津川町)に来ました。

この町にも私の知人がいます。
今回の目的は支援物資の搬送と現状の把握です。
現地の問題点の把握を兼ねて知人である竹山さんに視察を同行して頂きました。

竹山さんは今回の津波で父親を含む親族3名を亡くされました。
家も会社も流されてしまい、現在は避難所に身を寄せています。

竹山さんは社名入りの作業服を着てきました。
その作業服には竹山建設と刺繍されていました。
竹山さんは水産加工業です。
その作業服は、亡くなられたお父様の作業服で形見だったのです…。
今回の震災では多くの方々が親族や知人を亡くされています。
私の知人も亡くなってしまいました。

多くの方々が悲しみから、苦しみから、再び立ち上り、明日に向かって歩き出そうとしています。
その第一歩は、見た目は小さいものかもしれません。
でも、未来に続く大切な大切な一歩なのです。
なのに、その大切な一歩をなかなか踏み出すことができません。
町中が、未だに瓦礫の山なのです。
一日も早く生まれ育った町を復興したい!
誰もが、強く強く心に念っています。
瓦礫を早く撤去しない限り、工場を建てることはできません。
しかし、瓦礫の撤去には2年もかかるそうです。
そこには、一つの大きな問題がありました。

瓦礫の下には、行方不明者が多数おられる可能性が高いそうです。
行方不明者の捜索が最優先とされていて、瓦礫は許可なく撤去してはいけないそうです。
ですので、自衛隊の方々や警察官の方々が瓦礫を寄せて捜索を行った後に、初めてその瓦礫が撤去されます。
地元の方々は、捜索隊が寄せた瓦礫を撤去していたのでは、二度手間で時間も弄するので、瓦礫の撤去と捜索を民間で一度にやらせて頂きたいと考えています。
そうすれば、多くの方々の雇用が確保できます。

生き残った者たちで、亡くなった方々のためにも早く復興したい!
でも、行政にはその願いは届きません。
海にも瓦礫が残っています。
その瓦礫が撤去されるまでは、漁も禁止されていて、働きたくても働くことが許されないのです。

被災者は瓦礫が無くなるなるまでの間、ずっと待っていなければなりません。
瓦礫が無くなるまで2年、工場を町中に新たに建設するのに数年。
その間の保証は、現時点では行政から全くされていないそうです。
これから3年も4年も待っていなければならないのか…
その間の収入はどうするのか…

架設住宅の建設は他県からたくさんの業者さんや職人さんが来ているそうです。
なのに、地元の方々には仕事が回ってこないのです。

新潟県の方に伺った話ですが、宮城県の架設住宅の建設に新潟県の職人が駆り出され、新潟県では職人不足の減少が起きているそうです。
被災地では、地元の仕事が出来ないうえに義援金も支給されていません。
家族を失い、家も車も流され、道路は津浪で無くなり、電車もバスも通れない。
銀行も郵便局も、行政も、スーパーもガソリンスタンドも、全てが被災してしまっています。

本当に大変な日々を送っているのです。
南三陸町の方々にはまだまだ明日は見えてこないのが現実なのです。

何が正しいかは、人それぞれの価値観がある限り明確な答えは出せないと思いますが、
今は、純粋に人として何が大切なのかを多くの方々に考えていただいて、ほんの小さなことでも構わないから、自分にできる範囲で行動していただければと願っています。

代表 金野

南三陸町の現状は「震災後の宮城県」へも掲載しました。

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復興しました(その2)

大衆食堂わかよし お店入口


焼肉定食は700円


わかよしの皆さん

塩釜市牛生町牛生大通りの「大衆食堂わかよし」さんが震災から再び立ち上りました。
震災の影響で限られた食材の、限られたメニューでしたが、被災地で一生懸命頑張られていました。
まごころこもった料理をぜひ食べに行ってあげてください。
私は焼肉定食をいただきました。700円です。とても美味しかったです!ごちそうさまでした♪

大衆食堂わかよし
Tel. 022-362-1264

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復興しました(その1)

再開した仙台空港の様子


仙台空港1階ロビーには多くの方々からの応援メッセージが寄せられています


復活した松島水族館

復興が進んでいる所の情報もお知らせしたいと思います。

仙台空港は信じられない早さで復旧が進んでいます。まだ、臨時で国内線しか飛べませんが、ぜひ仙台空港を利用して宮城県に遊びにきてください。
仙台空港1階ロビーには、多くの方々からの応援メッセージが書かれています。一日も早くたくさんの大きな翼が仙台空港から羽ばたいていけるよう応援してください。

震災から懸命の復旧作業が行われ、4月23日、松島水族館が感動の復活です!松島ではホテルもお土産屋さんも懸命に復旧作業しています。GWはぜひ松島に遊びに来てください。

マリンピア 松島水族館
http://www.marinepia.co.jp/


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震災後一ヶ月半が経ちましたが・・・

震災から1ヶ月半ほど経ちましたが、自衛隊の方々の懸命な作業により瓦礫が、かなり減りました。


支援したくださった皆様ありがとうございました。受け取られる方のお気持ちになってキレイに梱包、分別されているものばかりが、届いています。おかげさまで、現地ではスムーズに被災者の方々に手渡っています。こちらの物資は南三陸町の方々に手渡されます。


行政が架設してくれたシャワールームです。しかし、川の水を使用するため細かなゴミが詰まってしまい、全く使えません。


行政が架設してくれたシャワーが使えないため、このドラム缶で川水を温めて、小屋の中にある浴槽にお湯を貯めてお風呂代わりにしています。しかし、すぐに冷めてしまうため、とても寒いそうです。


避難所では川から引っ張って水を確保しています。この水をお風呂や洗濯で使用します。ですが、かなり濁っていて、衛生的にも早急な設備工事が必要です。

震災以来、活動を続けていて被災地に足を運ぶ度に不安になります。
あれから、1ヶ月半も経つというのに現状が、あまりにも変わっていないのです。

自衛隊の方々の活躍により瓦礫は確かに少なくなっています。
ですが、未だに復興に向けてのビジョンが明確になっていません。
時間は、容赦なく流れていきます。

私は、今のペースでは復興は叶わないと思います。

行政と民間とが、ひとつになれないのです。
今、必要なもの!今、やらなければならないこと!が山ほどあるのです。
民間からの善意がことごとく「規則」に阻まれ被災者に届きません。
カナダから1万人分の老眼鏡が津波で流された方々のために贈られてきても、手渡すことが許されません。
病院が被災して、民間のお医者様が無償で、協力しようとしても許されません。
こんな時でさえ「規則」の壁があるのです。

支援物資は「まごころ」の結晶です。
みんな大切な時間とお金を使って、被災者のために物品を買い集めて、梱包して、送ってくれているのです。
被災地の真実の声は、毛布も足りない、靴下もない、服もない、下着もない・・・
そんな方々が、まだまだ何万人もいるのです。
他県の自治体で住民から被災地のためにと物資が集まっても、大量在庫となっている行政が多いのも事実です。
祈望では、ある自治体に大量に余っている物資を譲っていただけるよう相談しました。
結果、様々な規則があるため、簡単には譲っていただけませんでした。
余っていて困っている傍ら、必要で困っている方々が、たくさんいるのに・・・

私には力がありません。
何度も何度も歯がゆい思いを繰り返すばかりです。

私には、被災地に行って歌声で感動させることも、美味しい料理を振る舞う事も、人を笑わせてあげることもできません。
ただ、これからの東北のために、宮城のために、この先なにが必要なのか?何をしなければならないのか?
それを考え、多くの方々のお力をお借りしながら、一歩一歩、亀の歩みのごとく進むしかありません。

末端の声など聞いてられない!
これが、国の本音なのですか?

復興は町の形だけが、元に戻っても意味がありません。
そこに、地元の方々の想いが反映されなければなりません。
「故郷」が消えてなくなることの苦しみ・・・
「故郷」を自分達の手で蘇らせたい想い・・・

被災地の真実の声を耳ではなくて心で聞いていただけることを願っています。

代表 金野

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4月24日現在の雄勝町の様子

石巻市雄勝町役場1階フロア


画面左手前が大槻さん。


左から大野さん(株式会社プラチナコーティング 社長 茨城県)、鈴木さん(有限会社掛川スズキ塗装 社長 静岡県)、近藤さん(祈望 新潟支部)、菅野さん(菅野塗装 社長 千葉県)

石巻市雄勝町役場は1階部分の全てが津波で破壊されました。
行政は現在の法律上、決まり事が多く、被災者のために何とかしたい思いはあっても規則に縛られ、思うように行動や判断がとれません。現状では縛りが少ない民間が善意で動くしかありません。

被災地責任者の大槻さんと被災者が出来ること、仙台で出来ること、県外から出来ることをミーティングしました。現在全国で大きな問題になっている、支援者と被災者のミスマッチの改善策について話し合いました。

他県のリフォーム会社の方々が、数年に渡り東北の復興の力になりたいと支援物資を車いっぱいに積んで、視察に来てくださいました。

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被災者優先の賃貸物件があります

貸家・アパート・マンションなどの賃貸物件のオーナー様へ、被災者優先で、敷金礼金なし、家賃減額で貸してくださるようお願いしています。
現在4件ほど快く承諾していただけました。

○ 仙台市太白区鹿野本町13−27 サニーハイム201号室
(間取り3DK、敷金なし、礼金なし、家賃6万円、駐車場5千円、ペット可) リフォーム済み

○ 仙台市太白区鹿野本町13−27 サニーハイム102号室
(間取り2DK、敷金なし、礼金なし、家賃5.2万円、駐車場5千円、ペット不可) リフォーム済み

○ 仙台市若林区新寺1−6−8 チサンマンション第三仙台812号室
(間取り2DK、敷金なし、礼金なし、家賃6.8万円、駐車場なし、ペット不可) リフォーム中

○ 仙台市宮城野区岩切字鴻巣141−4 一戸建て
(間取り6DK、敷金なし、礼金なし、家賃7万円、駐車場1台無料、ペット可)リフォーム中

これからも敷金・礼金免除の物件を募集していきたいと思います。
協力していただける賃貸物件オーナー様のご連絡もお待ちしています。

ご希望の方はメールでお問い合わせください。折り返し私からご連絡差し上げます。

代表 金野

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石巻市雄勝地区役場、大槻組様宛パソコン、プリンター、文房具、軽自動車をお譲りしました。

(左)代表金野(右)大槻組社長 大槻さん

支援者

  • (有)塩谷建装 塩谷様
  • (株)ハッピーリフォーム 金野様 内海様
  • (株)白川工芸社 中根喜一郎様
  • (株)建装社 山下勝久様
  • (株)サンレイク住宅産業 池末吉隆様
  • (株)光が丘美装 宗田政次様
  • ものつくり大学・東洋大学非常勤講師 海老澤洋子様
  • TRIGONAL DESIGN SYSTEMS 島田一郎様
  • マテニヤルデザイン 佐々木千香子様

ご協力ありがとうございました。

大槻様から感謝のお手紙をいただきました。
私は手紙を読んで、被災者の皆さんの気持ちを想うと心が苦しくなります。
支援する側と、支援を望む側の大きな隔たりが書かれていました。
国も行政も被災された方の声を丁寧に聴いて、本当に必要な支援とは何かを理解し実行してほしいと願います。
本当に本当に小さなことしかできませんが、全力を尽くして支援したいと思っています。
よろしくお願いします。
代表 金野

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塩釜市民公民館避難所へ支援物資を届けました。

支援者

  • (株)太田旗店 太田匡彦様

ご協力ありがとうございました。

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